宇陀水分神社燈籠
平井石標・石仏ー飛鳥道標
奈良・宇陀水分神社燈籠ー平井石標石仏 
飛鳥道標
Comaーたんさく人 Kanazawa

    旧hp開設時画像 2009年6月
 
  奈良県宇陀市
 2009、06
宇太水分神社   燈籠         丹波佐吉作と推定されている。
金森敦子著 『 旅の石工 丹波佐の生涯 』 ( 1989、9、20 発行 )( 法政大学出版局 )より     
  P、185, 186

( 境内に残されている ) 三十七基の中の一基に笠の隅が駆け上り、全体に端正な感じのものがあった。
宝珠を受ける請花や、「永世燈」と彫られた笠の下に湾曲させた台を入れてそこに細い線で枠取ることなど、
佐吉がよくやる手である。これこそ佐吉が作ったものだろう。

銘文には

「世話人堀山権作 介添別所藤助 駒泊施主中 嘉永七甲寅年九月旦」

と刻まれ、狛犬が造立された時期と一致している。佐吉の作とみてまちがいがなかろうと思う。
この時期、佐吉が手がけたものは狛犬だけでなかったのだ。
■宇太水分神社狛犬造立   嘉永七年   1854年■
佐吉狛犬 宇太水分神社 奈良・宇陀市



匠 佐吉の芸術・造形作品
平井大師山(ひらいだいしやま) 石仏群
■道標 ●平井(平田家前)分岐点
■飛鳥「越集落」の道標 ●飛鳥(奈良・近鉄飛鳥駅裏 西方向すぐ)

  奈良県宇陀市
  2009、06
●大師寺・大師山 平井四国八十八ケ所霊場の石仏

( 奈良県宇陀市菟田野区平井 )
●  太師山入口 永世燈  ●
(銘)安政二年  -1855年-      発起平田彦八郎    「石工村上佐吉」 
宇陀水分神社の拝殿前の燈籠 「 永世燈 」と全く同じ書体・字彫りである
佐吉石仏 平井・大師山石仏群
第一番 霊山寺(りょうぜんじ)

佐吉石仏 地蔵立像 平井大師山石仏群 佐吉石仏 地蔵立像 平井大師山石仏群
第一番霊山寺の左隣 番外の地蔵立像        岩座の正面彫り凹めたところに「照信作」の銘
--------●この太師山石仏群の中の十余の弘法大師像は、佐吉の作品と言われている。●--------
写実的な彫り方、作風である。
 弘法大師像の額のしわやヒナ女の像の口もとなどが写実的である。

●ヒナ女 ---- 番外の女人石像。肉厚彫りの頭巾をかぶって合掌している。

---------( 金森敦子著 『 旅の石工 丹波佐吉の生涯 』より  )---------

佐吉石仏 不動明王 平井・大師山石仏群第45番
佐吉石仏 不動明王 平井・大師山石仏群 佐吉石仏 不動明王 平井・大師山石仏群
■霊場入口すぐの所の記念碑■ 
 裏面に建設のいきさつが記されている

 嘉永8年間にわたり八十八箇所の霊像を
但馬の石工大本佐吉照信に彫刻を 
頼んで創ったということである。
明治28年3月に記念
●第八十八番大窪寺 番外五重塔●

屋根の四隅の反り、四本の柱等の彫り方、バランスが、
第45番の総供養塔と同じ手法。
佐吉作 と言われている。
■ 太師山頂上 「総供養塔」 ■  第45番  - 1852年 完成 -

嘉永五年九月、「総供養塔」の四十五番岩谷山不動明王完成。

石祠、不動明王像 ともに誰にも手伝わせず、
佐吉一人で彫ったものである。・・・・・・・・

屋根の下には四本の柱を残して内部を刳りぬき、これはもちろん一石から彫り起こしたものである。
屋根にはほぞが彫ってあって、しっかりとはめ込まれている。
今、これだけのしごとができる石工は何人もいないのでないだろうか。
計算しつくした丹念なものである。

   
金森敦子著 『 旅の石工 丹波佐吉の生涯 』 ( P、145~147 )より




  奈良県宇陀市
  2009、06
平井(平田家前)分岐点 道標

平井(平田家前)分岐点 道標 ( 奈良県宇陀市菟田野区平井 ) 
   佐吉が彫ったという伝承
高さ155cm、 正面幅34cm、  横幅31cm、 
北裏面(銘)  嘉永七甲寅六月 立之  (1854年)
(南正面)   奉四國八十八ケ所霊場 (西左側面)    すく  太師山      いせ    道 
 
すく ( すぐ ) (東右側面)  すく   うた       左   古市場   道
 すく ( すぐ )   うた ( 宇陀 )
●この道標により太師山の参詣道を示す外、東西の街道は宇陀地方より奥宇陀を結び、
さらに伊勢本街道を東して伊勢方面に通ずる主街道であった ことが示されている。
  
   ( 『菟田野町史』 昭和43年-1968年- )


●佐吉の名は見当たらないが、彼が彫ったという伝承もあり、 字彫りの手法からみても佐吉のものに間違いがない。 
この道標の完成をもって、太師山の仕事は 完了した。石仏八十八体、石造五重塔一基、太師像十余体、
永世燈三基、番外の石仏数体。 三年余にわたる仕事であった。
太師山で仕事を共にした職人たちは、賃金と佐吉から学んだ石彫の技術をもって、それぞれの国に戻っていったのである


  ( 金森敦子著    『 旅の石工 丹波佐吉の生涯 』  P 178 より ) 



飛鳥「越集落」の道標
  奈良県・明日香村
  2009、06
 飛鳥の道標  「越集落」の道標

 飛鳥の道標    ( 奈良・近鉄飛鳥駅 裏 西方向すぐ )
佐吉の作
と推測されている    石は和泉石
文字は深く、切れもよい。笠石に入れた細い線、四面に彫られた仏像の彫りの細かさ、光背の先端の尖りぐあい、 佐吉の名はどこにも刻されていないが、
これは佐吉の作風を良く伝えている。佐吉の作と断定してもよいと思う。
 

      
 ≪ 金森敦子著 『 旅の石工 丹波佐吉の生涯 』  P、218, 219 より ≫
安政五戊午年八月吉日  服部甚兵衛建立  基石称念寺寄進   ( 1858年 )
東北面
右   ちはら  ご 茅原   御所
     こんかうさん   道   金剛山
西北面
左   おかてら  はせ  岡寺 長谷
     とふのミ祢 いせ  道  多武峰 伊勢
佐吉の飛鳥石標 奈良・飛鳥 越石標
佐吉石仏 越道標 奈良・飛鳥 佐吉石仏 越道標 奈良・飛鳥
     左側面        裏面          正面        右側面
佐吉石仏 越道標 奈良・飛鳥 佐吉石仏 越道標 奈良・飛鳥
銘 ) 安政五戊午年八月吉日      服部甚兵衛建立  基石称念寺寄進


  ●20101023● 追記
飛鳥道標の内容について、書かれている文献をたまたま目にしたので紹介します。

季刊 『 明日香風 』 104号  平成19年10月1日発行   発行所 財団法人 飛鳥保存財団


内容の詳細  
京都教育大学名誉教授

和田 萃

飛鳥の道標  「越集落の道標」


1p分

飛鳥道標-----内容詳細
季刊 『 明日香風 』 104号  平成19年10月1日発行  発行所 財団法人 飛鳥保存財団

京都教育大学名誉教授   和田 萃   飛鳥の道標  「越集落の道標」