布袋石仏  地蔵石像         
神楽岡神社燈籠 奈良・宇陀市大宇陀ー布袋・地蔵
神楽岡神社狛犬 丹波佐吉石仏
Comaーたんさく人  Kanazawa

・ 法正寺の地蔵 海会宝塔 奈良県宇陀市大宇陀上新 2011 ・ 12 ・ 24
・ 徳源寺の布袋像 奈良県宇陀市大宇陀区岩室 2011 ・ 11 ・ 25撮
・ 神楽岡神社境内の燈籠 佐吉作品と推定 2011 ・ 12 ・ 24
・ 神楽岡神社 佐吉狛犬 2011 ・ 11 ・ 25撮
※追記※ 神楽岡神社 境内 燈籠について  関係文献等  2012 ・ 2 ・ 25
・ HP開設時の旧画像 2009年6月  神楽岡神社の狛犬  2009 ・ 6

匠 佐吉の石造作品
●法正寺(ほうしょうじ)の地蔵
       ●徳源寺の布袋像
安政2年(1855年)ごろの作品
  平井太師山入口の永世燈一対を造った時期 
●神楽岡神社再訪       ●神楽岡神社境内 燈籠

丹波佐吉の狛犬・石造物 
  奈良県宇陀市
  2011、12、24
法正寺(ほうしょうじ)の地蔵 海会宝塔     徳源寺の布袋像
法正寺(ほうしょうじ)の地蔵 海会宝塔
奈良県宇陀市大宇陀上新         20111125

法正寺は 神楽岡神社(佐吉狛犬)への石段参道の途中にあります

但州竹田産 作師照信花押
維時安政乙卯二歳四月如意日  神光山十七世天秀比丘敬建焉
( 1855年 )
■※ 神楽岡神社の狛犬  嘉永七年( 1854年 )の1年後 ※■

施主 善男善女寺 世話人 秋葉講中
この頃の佐吉の作品群  
 ●嘉永5(1852年) 平井八王子神社狛犬(推定)
 ●嘉永6(1853年) 平井太師山の総供養燈
 ●嘉永6(1853年) 丹波の青垣町大燈寺の聖観音(しょうかんのん)

               
 〔 兵庫県丹波市青垣町稲土 〕
 ●安政1(1854年) 神楽岡神社狛犬
 ●安政1(1854年) 平井の道標(推定)
 ●安政1(1854年) 宇陀水分神社狛犬
 ●安政2(1855年) 平井太師山入口の永世燈一対


徳源寺の布袋像  20111125撮
(奈良県宇陀市大宇陀区岩室830)

法正寺地蔵と同じ時期の作品か?

徳源寺

大宇陀にあった宇陀松山藩主2代織田高長が父の
信雄(織田信長の次男)の菩提を弔うために開創
本堂
四阿(あずまや)の中の布袋像
「丸々とした顔に満面の笑みをたたえ、大きな袋に寄りかかって、この見わたすかぎりおだやかな風景全部が自分のものだというように、太鼓腹をゆるがしている。ゆったりとした大きな作風だ。石を素材にしなければ作り出せない暖かいぬくもりと、強い存在感がある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・顔を横に向け、腹を出してくつろいだ布袋の姿は、佐吉も自ら楽しみながら彫ったのだろう。佐吉の中で何かがふっ切れている。いらぬ小細工は何もしていない。石そのもののもっている力強さが、布袋の形を掘り出したあとでも殺されていない。それでいて隅々までていねいな仕事ぶりである。佐吉の見事な転身ぶりを示す作品だ。」
金森敦子著 『 旅の石工 丹波佐吉の生涯 』 1989、9、20発行 法政大学出版局  P192、193 より ●
照信作  花押


  奈良県宇陀市
  2011、12、24
神楽岡神社 境内 石燈籠
神楽岡神社 境内 石燈籠  匠 佐吉作品と推定 
磯辺ゆう著『丹波佐吉の石造物とその一生』 
奈良文化女子短期大学紀要 39号 2008. 11 .1
                                                           20111125撮 
安政二乙卯歳十一月旦   ( 1855年11月1日 )

■参考  神楽岡神社 狛犬基壇の銘  ■

■参考  太師山入口 永世燈の銘 ■

  神楽岡神社 佐吉狛犬   20111125撮

※追記※ 2012、2、25
●神楽岡神社 境内 燈籠について●
■先学の仲芳人氏の文献
  ( ※ 文章中の住所は、奈良県下で、旧住所になっています。 ※ )

①  『日本の石仏』 44号 
「石工・丹波佐吉の大和での作品」 ( 1987年  昭和62年 )
②  『日本の石仏』 48号 
「石工・丹波佐吉の大和での作品Ⅱ--付石工・龍田村久兵衛について」
 ( 1988年  昭和63年 )
③  『日本の石仏』 49号 
「石工・丹波佐吉の大和での作品Ⅲ」 ( 1989年  平成元年 ) 
◆◆◆ 改めて文献を読みなおして見ると、
≪ ①文献 ≫に
、次のようなデータをあげている。 ◆◆◆
「 筆者の推定し造立年が明らかなものを四例あげる。

   イ、菟田野町平井 八王子神社の狛犬。・・・・・・・
   ロ、菟田野町平井大師山四十八番 岩谷寺・不動明王・総供養塔。・・・・・・
   ハ、菟田野町平井三差路の道標。
   
二、大宇陀中新 神楽岡神社。境内に十余基の石燈籠があるが、
           その内の一基。銘文は、
               安政二乙卯歳十一旦     奉燈  氏子若連中

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」
   
既に、神楽岡神社境内一基の石燈籠を、佐吉作品と推察されている。
 その他「香炉」 の作品もあげている。

    「  ・・・・・・・・佐吉の作品は十二例が知見にあり、・・・・・・・・・・
        1、奈良県宇陀郡大宇陀町五十軒 徳源寺布袋像・・・・・
        2、宇陀郡菟田野町平井大師山一番・・・・・・・・・・・・・・・・
        3、同所十九番 立江寺。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       
 4、同所前方に石造の香炉があり、次の銘文がある。

           為 父母  施主  但州照信
         銘文には、「・・・・・・・作(花押)」となく、施主としてであるが、
                 佐吉の作としておく。
 
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」


   
 ※ 平井大師山の石仏には、佐吉が関係?した様々な作品が 残っているようであるから、また、訪ねようと思う。 ※ 
◆◆◆ 佐吉の影響が強く残っている作品 ◆◆◆        
●田原本町鍵    八坂神社 石造狛犬        
●菟田野町平井  平井皇大神社の狛犬
 ----------  未撮影   
≪ ②文献 ≫中の
 「 石工・龍田村九兵衛について 」 で掲載している狛犬について
九兵衛と佐吉の関係で推論。
生駒郡斑鳩町興留 素盞鳴(すさのお)神社 佐吉狛犬の詳細銘文
   奉   安政四年丁巳九月    
作師 照信 花押   
   獻   安政四年丁巳九月日  
龍田  石工  九兵衛
非常に興味深い資料が出現した。共作の銘文があり狛犬部分は佐吉が作り、
台座や組立は九兵衛があたったのであろう。宇陀を離れた佐吉は、
大坂へ移る前にしばらく大和にいたことになる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「 磯城郡田原本町鍵 八坂神社 石造狛犬 文久元年酉九月吉日  
                    龍田 石工九兵ヱ 」   1861年
狛犬は銘文から九兵衛独自の作品であるが、
各部分に下のような
佐吉の作風を残している
  ・「奉」「献」の文字  佐吉風文字、
  ・第1台座(中台)は、四方に小さな足をつくり、第2台座にのせる。
中台は、縁に線をいれる。
  「 宇陀郡菟田野町平井 平井皇大神社の狛犬 
------ 
佐吉の作風を残している。・・・・・・・・・ 」
◆◆佐吉作品   大和郡山市矢田山田の補陀山松尾山 本堂裏の小堂の
 千手観音石仏
  和泉砂岩製◆◆◆-------------- 未撮影  
≪ ③文献 ≫より
石仏      
  台座の銘文     龍田西町  六番中   楊谷寺   
           丙 安政三年  ( 1856年 )    辰  四月吉日   
                  石工 九兵衛  
  仏像部  銘文   但州 竹田産  作師  照信 花押 
            ※ ● 追記 20120301 ● ※ 千手観音石仏 撮影


佐吉狛犬
  奈良県宇陀市
  2009、06  HP開設時の旧画像
神楽岡神社
但州竹田産 作師 照信 花押
嘉永七寅歳四月吉日 ( 1854年 )
■大阪道修町■

薬の道修町の歴史は、明暦年間(1655年~)頃この地に 「薬種屋」が集っていたことに始まります。
享保7年(1722年)には、薬種屋仲間124軒が江戸幕府から 「道修町薬種中買仲間」(株仲間)として公認されました。株仲間とはその商品を扱える同業者団体の事です。
当時、長崎から輸入されたくすりの原料である薬種(唐薬種)を吟味し価格を決めて、全国に販売していました。
間もなく国産の薬種(和薬種)を管理していた「和薬改会所」は 廃止されましたが、「道修町薬種中買仲間」は和薬種と唐薬種の 双方を扱うくすりの総元締めの役割を担いました。
これが、
「くすりの道修町」の始まりとされています。

明治時代以降の近代化の過程を経て、それぞれの薬種関係者が 医薬品工業へと発展を遂げてゆくことになりました。
■大宇陀は、旧伊勢街道沿いの城下町として栄えたところ■

神楽岡神社前の旧伊勢街道には、古い町並みが残っている。
江戸時代当時、大宇陀には十数軒の「薬種問屋」があり 栄えていた。

有名な「吉野葛」の大看板を上げた森野家の
「森野旧薬園」 (国史跡)が神社のすぐ近くにある。

江戸時代、「薬」の需要が高まり、自生する薬草、薬木の 類を調査、採集し、それらを栽培化する試みが盛んにおこ なわれ、特に、八代将軍「吉宗」は、政策として諸国に薬草栽培を奨励した。そういった状況において、古くから薬用植物の栽培が盛んな大和地方(奈良県)は、重要な一地域となり、この宇陀の地で農業を営むかたわら、葛粉の製造にも従事していた森野家は享保年間(1716~36)、森野藤助により民間の薬草園を創始した。その後、薬園は年を追って盛んになり、しかも幕府官園(
「小石川薬園」) の補助機関にまでなり栄えた。

そのようなことで「薬草栽培等」で広く知れわたった宇陀の地は、当然の事ながら「大坂の道修町の薬種問屋」との深い関係が出来上がったと思われる。
当時、大坂商人の財力はかなりあったと 言われているから、「狛犬」の寄進ということに至ったのも肯ける。  

●「森野薬園」と「丹波佐吉」とは、顔見知りの間柄であった。
(金森敦子著『 旅の石工 丹波佐の生涯 』より )●
   

●(「小石川薬園」---- 幕府直轄の薬園。
  現「小石川植物園」  東京大学理学部付属施設。)●
Comaーたんさく人  Kanazawa