石匠・丹波佐吉の石仏
丹波佐吉石仏写真撮る 探る  Comaーたんさく人   

●大和の石工・九兵衛 と 名工・丹波佐吉●
匠 佐吉作   楊谷寺 千手観音石仏  
(奈良・大和郡山市矢田 松尾寺境内)    撮20120228

大和の石工・九兵衛との共作 

通称、 「 楊谷観音(やなぎたにかんのん)様 」 と呼ばれています


  奈良県大和郡山市
  2012、03、01

松尾寺本堂

本堂の裏  三重塔の横  小道を上がった所
(銘) 丙  安政三年  辰 四月吉日 石工  九兵衛
( 1856年 )

(銘)  但州竹田産 作師  照信  花押 
像高 約 87cm ( 台座含む )


  

◆基壇詳細◆     
第一基壇  高さ 37cm  1辺 24cmの六角石柱

第二基壇  高さ 18cm  1辺 34cmの六角石形  2石の組合せ

第三基壇  全体は、幅 99cm 高さ9.5cm 奥行き107cm  
   前石の奥行き47cm と 後石の奥行き60cm の 2石の組合せ

第四基壇  幅87cm、 高さ18cm、 奥行き95cm、
●この「千手観音石仏」 左足親指を少し上げている。●
■金森敦子著 『 旅の石工 丹波佐吉の生涯 』 P157~159に
 「・・・・ 一番の横に立つ長身の立像の地蔵には、佐吉の銘が入っていて、

左足の親指を少し上げている
。・・・・」 ( 大師山石仏群の詳細文より )■
(銘) 丙 安政三年 辰 四月吉日 石工九兵衛( 1856年 ) 
(銘)  但州竹田産 作師  照信  花押 
楊谷寺   龍田西町   六番中
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「 この時代の龍田村の小字(こあざ)名を知ることができる資料が龍田神社(斑鳩町龍田)にある。それは境内の石燈籠群の内の一基で、次の銘文がある。
文久三亥年十一月
   龍田社
        東町 ( 人名11人略 )
        中町 ( 人名8人略 )
        吉田町 ( 人名6人略 )
        戒下 ( 人名3人略 )
        六番町  助右ヱ門、 善左ヱ門、 喜介、 
               三十良、 
九兵衛

六番町の地名は現在失われてしまったが、龍田川の東岸と大阪街道(現・国道25号線)の北沿いの一角であった。石工九兵衛の店舗は石屋の通例から川(龍田川)に面していたと思われる。楊谷観音石仏の奉納者は龍田西町六番の人々であって、九兵衛と同じ村もごく近所の人達であったのだろう。石屋の九兵衛宅になにやら名人技の石工が来たらしいの噂を聞きつけて、村人達が製作を依頼し奉納したのではと空想を広げるのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」
-------◆ 仲芳人著 『日本の石仏』 49号 
       「石工・丹波佐吉の大和での作品Ⅲ」 ( 1989年  平成元年 ) ◆ より---------


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