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● 未完の長谷寺型観音 ・ 五重塔 ●
丹波佐吉の狛犬・石造物 
   奈良県宇陀市
  2014、03、02
平井・大師山・四国八十八ケ所霊場石仏群 
( 宇陀市菟田野区平井 )
佐吉作と言われている 未完の長谷寺型観音立像 ・ 八十八番大窪寺 番外五重塔
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長谷寺型観音 --- 無年月 ・ 無銘
■美登路富太郎さんの聞き伝えていること、 
                観音像のことについて■

厄除け大師というとります。佐吉さんがこしらえとって、
途中で去んでしまったのですわ。
だから半作です。・・・・・・・家で病人がでたというのを
飛脚が知らせに来たからです。
八十八番を彫った後のことだったと思います。
帰ってきたらまたやるわといって、半作のまま去んでしまった。
厄除け大師さんは仕事場にゴザを掛けたまま
置かれ、いつの間にか土が被さってしまって
土に埋もれたようになっていたんです。
半作なのを見て、出来るところだけでも
さしてくれよという人もいましたが、
こんな名人の作に手を入れることはならんというて、
させなかったと聞いとります。
佐吉さんは、その後、別の石屋から妬まれて、
丹波かどこかで利き腕を落とされたそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伝承を信じれば、観音が彫られたのは、伊助が死んだ
安政三年(1856年)ということになる。・・・・・・・

観音はかすかに微笑している。


◆金森敦子著
「旅の石工 丹波佐吉の生涯」 p258〜260より◆

※美登路家 --- 平井の一番の土地持ち、
  大勢の職人を寄宿させていた。

  石切場は、大師山近くの阿蘇という所にあった。
  石仏群の石材の多くは、
   この阿蘇の石材が使われたらしい。
およそ3年間にわたって、
佐吉と職人たちは、
平井の美登路家で世話を受けていた。

--------------------   再編集画像   20140228  20140303
番外五重塔
1853年  嘉永六年丑八月建
吉野□小川材木商人中