丹波佐吉の石仏と狛犬を考える 
「丹波佐吉石仏」 考 Ⅱ ●●
「丹波佐吉石仏」 考 Ⅲ
奈良から   Comaーたんさく人
幕末期の日本の石工が到達した・・・・・・・・・・・・・・           
やはり丹波佐吉は、 「石仏」に生涯を捧げた!!!

石仏総数72体にのぼる!!!
● 「丹波佐吉石仏」考Ⅲ ●
●「平井・大師山四国88所石仏群」●
大師石仏以外の「佐吉作石仏」が、11体坐す     
                              2014、5、13  Coma-たんさく人   M ・ K





江戸時代末期の名石工

「丹波佐吉石仏」考Ⅲ      2014, 5, 13

Coma-たんさく人  M・K

やはり丹波佐吉は、「石仏」に生涯を捧げた!!!

                 石仏総数72体以上制作する

●「平井・大師山四国88所石仏群」●から

第1番霊山寺釈迦如来石仏(B形式石仏)は、「佐吉石仏」である。

このB形式石仏は11体あり、佐吉石仏である。

佐吉の石仏制作について、「関・観音山石仏」を観るなかで、石仏の原点であろうと思われる
「大師山石仏群」をやはりもう一度検討しなければならないと思う。

今までの事を整理しなおしながら、その中で新たに推測される佐吉石仏について述べていきたい。

大師山の石仏群の中で、基本的に佐吉銘のある石仏と大師像15体、長谷寺式観音石仏、五重
の塔などについては、今までに既に整理(―※金森氏―)されてきたのであったが、その他の石仏に
ついて詳しくは判らなかったので、今回できる限り石仏群全体を視野にいれながらみてみると、明らか
に判ってきた事があります。

石仏の形式を大雑把に整理。

「― A ― 大師像グループ」(推:佐吉作)  画像①

「― B ― 札所第32番形式石仏グループ」 画像②

「― C  B形式以外の石仏グループ」   画像③         
                                 

の3グループに分けられる。

(※金森氏―――著書p171 大日如来像画像の説明文
          「目の荒い石を使いながらも細工はこまかい。これもおそらく佐吉自身の作かと思われる。」
                             ―――上述のBグループに属する。―――)

 B形式グループは、佐吉石仏である。 11体、坐す。

この形式石仏は、岩座的なスタイルの台座に、「蓮華座に坐す石仏本体」を安置し、札所番号をこの
台座の正面部分に横書きに刻んでいる。坐像の石仏本体の彫り方は、大師石仏の坐す彫り方に非常に
似ている。立像石仏の持物など、例えば錫杖の棒部分は「棒」として彫りきっており、このような彫り方は
「関・観音山 佐吉石仏」の精巧な技と共通している。石の材質は、和泉石と違って大師山付近から産
する阿蘇石・カラト石で、あまり細工にむかない?と言われているのにもかかわらず、石仏を精巧な彫り
方で造りあげている。

光背には、仏の右側に仏像名(縦書き:薬師如来、十一面観音、他)、左側に寺号名(縦書き:霊山寺、
金泉寺、他)が刻まれている。真横から見る光背は、上の部分が深く前にせりだすカーブを描いている。
光背でこのような同じカーブを描いているのが第1番石仏横の「番外・地蔵菩薩立像」(画像④⑤)で
照信銘の佐吉石仏であり、しかも台座も岩座型のB形式ですから、B形式石仏は佐吉の作の可能性が強い。

このB形式の岩座的な台座型は、「関・観音山石仏群」の佐吉石仏のスタイルと同じであり、松尾寺境内
千手観音石仏(銘・照信花押、奈良県大和郡山市)もこのスタイルの台座である。

佐吉はこの岩座的な台座型を大師山で独自スタイルとしたと思う。

このことは、「関・観音山 佐吉石仏」を知る中で判ってきたことである。
「大師山石仏」だけ観ていても、確かな石工銘がないので同一石工が造ったと判るだけである。
この台座型Bグループは、今回の詳細観察で「観音山:佐吉石仏」に繋がる点であると思われる。

それでもう一点、確かに「佐吉作」と強く思われる作風の「刻字」があります。

第1番霊山寺石仏の「一番」刻字である(画像⑥⑦)。 

石仏群の中の「十九番」(画像⑧)「四十五番岩谷山」「永世燈」などの刻字は共通してかなり深く刻する
佐吉独自の彫り方である。「一番」刻字も明らかにこの彫り方である。
ですから、釈迦如来石仏そのものも佐吉が彫ったということであるし、岩座的な台座も佐吉説をさらに強め
る点でもある。

またB形式の札所第32番十一面観音石仏(画像⑨)についても触れておきます。

この石仏の右側に「ひな」女人石仏(銘・照信作花押)が坐している。
この両石仏の刻字を比べてみた場合、「信」「浄譽如徳信女」という刻字などは全く同じであり、
佐吉が彫った十一面観音石仏にほぼ間違いがない。
ですから、B形式石仏(11体)は、同一石工の「佐吉」であると考えていいと思う。

以上の点から、佐吉石仏は、「丹波佐吉石仏」考Ⅰで述べてきた「石仏」制作前期の総数は、
24体から35体になり、石仏総数72体(推定含むと75体以上?)にのぼる。
 
  ですからこれまで述べてきたように、やはり佐吉は「石仏」に生涯を捧げたことに間違いがないと
思われる。

             2014、5、13    Comaたんさく人  M・K



※ 詳細石仏制作年表PDF版参考 ※
 改訂版20140517 m51-skchi-kannon-nen02s.pdf へのリンク 



金森氏・・・・・・金森敦子著「旅の石工 丹波佐吉の生涯」 
法政大学出版局 1988、9、20 昭和63年

画像①大師像 画像② B石仏グループ
画像③ C石仏グループ 画像④ B石仏グループの真横からの光背
画像⑤ 地蔵菩薩立像の光背 画像⑥ 第1番釈迦如来
画像⑦ 一番刻字 画像⑧ 十九番刻字
画像⑨ 第32番十一面観音  ひな女人石仏