2013、06、24 Coma-たんさく人 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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・本当にめずらしい 「 児連れの阿形と片手玉上げの吽形セット 」 型は、開口神社と豊崎神社に座っている。今のところ、関西ではこの 2 神社狛犬のみが現存している。 ・下記の豊崎神社狛犬の石匠・森村好次郎は、開口神社文久3年狛犬を模倣したと推測され、形式は同じである。 ・普通狛犬は本殿に 向かって、右に阿形、左に.吽形を座らせている。開口神社は全く逆に座らせている形式である。 石工・森村はその形式を模倣している。 又、左側に座す児連れの阿形と右側に座す片手玉上げ.吽形、および丸台座に坐らせている大型の狛犬、これらすべてを模倣している。 ・丸台座は、浪速・関西の狛犬には非常に少ない台座形式である。 ちなみに、「円形の丸台座」 に坐らせる形式は、基本的には出雲地方の狛犬に多く、この出雲地方の江戸期の狛犬数のおよそ3分の1が丸台座型が占めている。 ( -- 『狛犬見聞録』による -- ) 普通の四角い角台座に比べて、技がいるし、時間もかかるといわれている。 ●以上のような形式の狛犬が、出雲地方に数例ある、 ( 文献 : 『 狛犬見聞録 』 」より ) と、記している。● ※「 円形の丸台座 」------奈良では、 氷室神社(奈良市)安政4年 1857年 天神社(奈良市)明治35年 1902年、 猪上神社(信貴山)石工大坂堂嶋石又 等、確認 |
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開口あぐち神社の 文久3年( 1863年 )狛犬 | 豊崎神社狛犬 昭和12年 1937年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石工 利助 同姫路 小安 花崗岩 | 石匠 長柄橋 森村好次郎 花崗岩 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
下の古絵葉書資料 大阪・住吉大社 正門 大鳥居 出雲式狛犬 嘉永2年(1849年)製、 ・住吉大社の古絵葉書狛犬をあらためてよく見てみると、今は現存していない大鳥居前狛犬が出雲式狛犬 ( 『 狛犬見聞録 』 著者より ) らしいとわかり、最近手にいれた下のモノクロ古絵葉書で、狛犬部分を拡大してみると、 左の阿形は、児連れと丸台座( 手彩色の古絵葉書より )とわかった。、 ・.右の吽形、この古絵葉書からは判らないが、木村茂氏の研究掲載写真から、片手玉上げ狛犬であったことがわかった。 ・住吉大社と開口神社は地理的に近く、当時の江戸期の石工が参考摸倣したと充分推測される。 ※ 手彩色住吉大社正門大鳥居前狛犬古絵葉書 ※ |
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上のような形式 ( 開口神社狛犬形式 ) の狛犬が、出雲地方で確認されている。 丸台座では、ないが・・・・・・ 出雲地方が、そもそも発祥の地らしい!!!!! ■ 下記の資料 廣江正幸・永井泰著 『 出雲・石見 狛犬見聞録 』 ( 2010年5月発行 )より引用 ■ |
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安来市伯太町(やすぎしはくたちょう) 出雲地方では、阿形が児獅子をつれ、.吽形が片手をあげて玉を乗せている、という珍しい形式の狛犬が何例かみられる。 その中で、もっとも古いのが寛政8年(1796)に寄進された、西八幡宮の狛犬である。 ●この写真からは、阿形・.吽形の左右の座り型はあまりはっきりしない。? 阿形の児獅子がよく見えるのは、左座りがいいのだが??? |
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安来市伯太町 ( やすぎし はくたちょう ) 宮内八幡宮狛犬 文政8年 1825年 石工 新三郎(松江) ●阿形は左に、 .吽形は右に 座っているらしい? |
出雲市 阿禰 あね 神社狛犬 天保6年 1835年 ●阿形は左に、 .吽形は右に 座っているらしい? |
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斐川町( ひかわちょう ) 都牟自 つむじ 神社の狛犬 推定 寛政から享和期 1789年〜1803年 石工 兵左衛門 ●阿形は左に、 .吽形は右に 座っているらしい? |
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●以上の資料から、児連れ阿形・片手玉上げ吽形と左右の座り型の関係は、 初期からこの形式だった可能性が推測される。 |
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■下の文献・資料■ ● 住吉神社嘉永2年狛犬の写真 . 吽形 片手玉上げの貴重な写真 ● 木村茂氏の狛犬の研究より転載 |
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この住吉大社正門・大鳥居前の嘉永2年狛犬は、 「左側に座す児連れの阿形と右側に座す片手玉上げの吽形セット」 型であることがわかる。 |
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住吉神社嘉永2年狛犬は、備前石工 善三郎 と 記されている。(- 木村 茂氏 -)
※ 復古派の天満天神狛犬( 大理石製 )をさして、 「・・・・力作だが、不愉快な狛犬である。 」 と技巧面から単刀直入に記している。※ 現在、歴史的な製作年代等およそわかってきた事柄 下記 ■天満天神社詳細 - 大理石製 ・ 中国獅子・・・・・ 独特な顔・ユニークな形 ・・・・・・・製作年などの詳細も多分そうだろうと思うが・・・・・■ |
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木村 茂著 『 大阪近郊の石製狛犬の研究 』
大阪の狛犬に関して貴重な研究成果であると思われ、基本文献である。 様々な考えを木村氏は単刀直入に述べられていて、多いに興味がわいてきます。 ※ 奈良の氷室神社狛犬や薬園八幡神社狛犬等記述も見られる。 ※ 薬園八幡神社狛犬 ※ |
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■ 住吉大社嘉永2年狛犬 ■について 参考資料 小寺慶昭著 『大阪狛犬の謎』より 住吉大社の西側の住吉公園入口に座している体長 約 160 cmの岡崎式狛犬 住吉名勝保存会によって近年 ( 昭和 52 年 建立 ) 寄進。 嘉永 2年 狛犬は、昭和 12 ( 1937 年 ) この場所に移設されるが、石材が砂岩のため、 風化損傷が著しいので、今のこの 52年岡崎式狛犬を建立。 ですから、昭和 52 年まで座していたので、木村氏の写真からも損傷の激しい点がうかがわれる。 台座だけは先代の狛犬用のもの 詳細 嘉永二己酉四月吉日再建 大阪薩摩堀 西村屋愛助 ( 1849年 ) 伯州根雨 松田屋伊兵衛 備前 石工 喜三郎 ※ 住吉名勝保存会の石造狛犬 ※ |
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※ 木村茂氏 ---- 備前 石工 善三郎 ※ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◆開口の石工・利助 小安は、住吉狛犬を参考に模倣したと推測できる。 ◆豊崎の石工・森村は、住吉・開口両狛犬を参考に模倣したと推測できる。 |
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■なお、小寺慶昭著 『大阪狛犬の謎』のP,195、196に、開口神社のこの狛犬を、 「・・・・これは京都市内に鎮座する菅大臣神社の狛犬を模したもので、 菅大臣式狛犬と名づけている種類だ。・・・」 と記しているが、比べてみると、異なる点が多いので、おそらく模していないと思う。 ----- 異なる点 ----- ・.吽形が持ち上げている玉・顔の向きは、参拝者が見える方向で、左側に座している。 ・右側に座している児連れ阿形も、脚下の児獅子が参拝者に見えるように顔もその方向に向いている。 ・尾は、出雲式とはちがういわゆる扇尾である。 |
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京都市・菅大臣神社(かんだいじん) ( 下京区西洞院仏光寺新町西入菅大臣町 ) 撮影 20090321 |
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大阪市 |
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2013、06、24 | |
大阪・豊崎神社 ( 大阪市北区豊崎6-6-4 )の狛犬 | |
鳥居 正門入口狛犬 昭和12年 1937年建立 石匠 長柄橋 森村好次郎 向かって 左 阿形に子獅子 右 .吽形に片手玉 撮 20120307 |
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